Okada Seisakusyo Furoku

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OKSの歩み(更新情報など)


OKSの更新情報1
OKSの独り言1
OKSの独り言2
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OKSのガイド(振出用)年末に向け東芝の穴石が10万個決まり一息付けたのでした、設計のしごとは組み立て図をパーツ図に起こす仕事でした。得意の物だった、図面提出したところ鉛筆の黒い粉で汚くなってしまった。日当たりの良い所で書くものではないのが分かった一番でした。つぎのしごとは、八王子のダン科学にパート図を書きに行く事だった、そこでは渦電流を防ぐ方式に碍子のパーツを考えてとの事でして、早速解決したので彼は鼻がたかったと思う、その帰りの夜新宿でタラバ蟹をごちそうになった15Hつけておいてと言われた。そこでは、担当者は独立したら手伝ってくれと言った。しかしその後連絡がないま時が過ぎ、かみさんは3か月でかぜを引きやめる事になった。仕事が丁寧なので内職の仕事向きでないといわれていた、性分だから手は抜けないんです。設計の件後から分かったのですがなかなか抜けられなかったらしく、電話があった時は仕事がまた来出した時なので、この設計の仕事には乗れる事が出来なかったのでした。この頃はサラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ等とまいねん2割3割と給料が上がった。それなのにこちとら余り所得が低かったので幼稚園に払った費用が戻ってきたのでした。お陰様で暇があったのでギターの練習したり仮面ライダーの怪人キノコモルグ、オオカミ男【クリの枯葉が耳】さぼテグロンを作った、下の娘はサボテグロンを見て驚いて泣いているんだが声が出ないほどの泣きようだった。これにはたまげた。遊んでばかりいたわけではなく、兎に角下請けはだめだ、自社製品を持たねばと、懸命にガイドを完成させようと治具など作った、曲がりなりにも揃ったところで、さあ売り込み開始、釣具界のことは皆目分からずなので勇気凛々だった、手始めにつりマガジンに1ページのからー広告をだせば、どんどん引き合いが来るだろうと思った。しかしまったく反応はなし、しからばと釣具店を回って売り込もうと、釣具店ひさご、つり具のすがもとか、本八幡釣り具センター等何軒か買ってくれました。百貨店協会などもその後扱ってくれましたが、フジのガイドは良く売れていたが、クリスタルは大した成績ではなっかた。広告を見て電話してくれたのは、木村三水商店の社長でした、理由は、今までこんなピンボケのは見たことないよ、あしのさき摺りも招きねこみたいだなーと感心?してくれた…。

【2枚だけあった広告の画像】兎に角置いてくれたのでした。釣具メーカーは随分まわりました。 。
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その一環として、オクトパスのリールシートを自社製にすること、(型抜きしたので角が面取りされています)
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上は3月6日スライドと爪、試作品です。
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